思いだし、続く。

再度、思い出したので、書きます。本当はその修行をしてから、とくどをとってからですが、自分もそれなりにそれができます。しかし、同性愛の念によって、その魂がおとされることもありますので、あまりしませんでした。

 

それには、時間とゆとりが必要です。しかし、できてもその修行の勉強はしっかりとしないとむりですので、あまりしなくなっています。

そのぐらい、こころとは強いものです。しかし、魂のレベルの違いは、あります。

昔のような秩序あることでしたら、自分たちの日本語がわかります。それが、良縁ですし、友達です。私の友達は、その日本語がわかります。友達だからこそです。あとは、むりです。

 

男の魂より、女のほうが低いです。よって、いままでは、問題なくできた会話も、今は無理です。と言うのも、その話の内容を理解するどころか、全くの無心論者以下の人ばかりで、反対に言えば、バかじゃんとか、きちがいといわれんばかりの人ばかりの集いでした。

添れでは、無理です。芸術も、感性、仏教もです。崩壊です。

それで、なにかを求めようとしても、夢どころか、無だなことです。成功はしませんね。元々なにか光るものがないと人は無理です。だから、才能とも言えるのでしょう。どんな脇役でもです。それが、ひとつの社会ですから。小さなね。